海賊とよばれた男

発売日:2014年7月15日
出版社:講談社

執筆者:百田尚樹

海賊とよばれた男の写真

エネルギー業界でビジネスに従事している者にとっての必読書。出光興産創業者の出光佐三をモデルとした主人公・国岡鐡造という男の生き様が描かれている歴史経済小説。出光興産をモデルにした国岡商店が大企業にまで成長する過程が描かれている。企業の在り方や、人と人のつながり、従業員への考え方、またビジネスのとらえ方などが緻密に組み込まれており、昭和の益荒男が戦前~戦後の波乱の時代を駆け抜けた一冊。

敗戦後の日本での事業再建、「ひとりの馘首もならん!」

本書は、1945年8月15日に連合国と日本の戦争が終了した時期から始まる。日本中が徹底的に爆撃され、街中には職や食料を求める者で埋め尽くされていた。本書の主人公・国岡鐡造が率いる国岡商店についても海外資産の全てを失い、経営はもはや風前の灯であった。

敗戦国となった日本は悲惨の有様であり、誰もが途方に暮れて失意に打ちひしがれている時、既に老境に入っていた国岡鐡造店主は、社員を前に訓示を行う。日本人としての誇りを失わぬように、「愚痴をやめよ」と活を入れた。ただ、国岡商店は事業のすべて失い、残っているのは借金ばかりだ。それでも「ひとりの馘首もならん!」と、社員を一人も解雇せずに、日本と国岡商店の再建に挑むこととなる。多くの資産家が自己保身に走る中、鐡造の決意は異例のことであった。

重役たちが社員を一人も解雇しないことに意義を唱える中、鐡造は言った。「もし国岡商店がつぶれるようなことがあればーー」「ぼくは店員たちと乞食をする」。「乞食」という言葉に重役たちは弾かれた思いでいた。この言葉は鐡造の大恩人、日田が語った言葉である。また国岡商店の店員で日田を知らぬ者はいない。

鐡造は帰途につき、夜が更けて子供が寝静まったころ、妻に言ったそうだ。「財産をすべて失っても良いか」。妻は笑って「私はかまいませんよ」と言った。「生活のためもあるが、店員の給料を払わねばならん。」「それでしたら、喜んで手放しましょう。」

現在のように安心安全が当たり前ではなく、戦後という先が見えぬ時代である。こうした決断を下し実行していった鐡造の胆力および家族の絆・信頼に、当方は書籍の文面から美しさを感じた。

百姓から漁、ラジオ修理まで「事業は何でもやる」

「この非常時には仕事を選んではいられない、もはや石油にはこだわらない、全店員、やれることは何でもやろう」。しかし戦後の混乱期に仕事が簡単に見つかることもなく、巷には一千万人を超える失業者が溢れていた。

ただ、店員は懸命に仕事を探し、徐々に成果が出始めていた。それでも石油とは異なる慣れない仕事ばかりで、手元に資金は残らなかった。ある日、鐡造は店員名簿の作成を命じた。部下は名簿作成を始めたが、必要な書類はほぼ焼き払われていた。ただ、必死に記憶を手繰り寄せ、計千六名のすべての経歴が書き込まれた名簿が完成した。それを見た鐡造は、「国岡商店は何もかも失ったという者もいるが、それは間違いだ。国岡商店の一番の財産はほとんど残っている」。重役はその通りだと思った。

ある日、元海軍大佐の藤本が国岡商店に入りたいと希望を入れてきた。藤本は、多くの部下に仕事を与えるためにも、ラジオ事業を展開したいと要望を伝えた。藤本のスーツはよく見ると、ボロボロになっていた。

鐡造は藤本の本気度を見て取り、銀行からの融資を条件に事業展開することを約束した。幾ばくかの日が流れ、「どうだ、金は借りられたか」と鐡造が訊ねた。藤本は「まだ一円の融資も受けられておりません」。鐡造は顔色ひとつ変えずに言った。「融資が受けられないのは、なぜなのかわかるか」 「現在の金融状況が厳しいからです」 「違う!」鐡造は一喝した。「君の真心が足りないからだ。至誠天に通じると言う。君が本当にラジオ修理の事業に命を懸けて取り組む気概があるならば、そしてその事業に利益が出るという信念があれば、その思いは必ず伝わる。そうではないか」

藤本は以前に訪ねた第一銀行(現・みずほ銀行)に出向き、国岡商店がこの事業にいかに力を入れているかを懸命に語った。またこれまでと異なり、実際に持参した壊れたラジオを見せ、その場でテスターを使って、真空管を交換してみせた。この日のために家で何度も繰り返した作業だった。

わずか数分のこの見世物は銀行家の注意を惹いた。支店長は藤本が器用にラジオを分解し、目の前でラジオが直されていく様子を興味深く見た。藤本はチューニングを触って、日本放送協会に合わせた。ラジオから「リンゴの唄」が聞こえてきた。支店長室にいた四人は雑音混じりの「リンゴの唄」にじっと耳を傾けた。

誰も何も語らなかった。支店長はじっと黙っていたが、おもむろに口を開いた。「融資を検討してみましょう」。ここから、国岡商店が石油事業に戻るまでの事業の屋台骨を支えた一つであるラジオ事業が全国に展開していく事となる。

国岡鐡造という男

上記については本書冒頭のごく一部分となり、この後は鐡造の幼少期から始まり、その後石油事業に参入し世界を驚かせた様が丁寧に描かれる流れとなる。本書を読み進めるにつれ、日本人のみならず、多くの国からも愛された国岡商店の店員の活躍も目を見張るものがあり、敬意が生まれる方も多いだろう。多くの壁にぶち当たりながらも国際市場で公平に競争してきた国岡商店だったが、鐡造の理念および店員の努力と汗が無駄にならず、その対価を得られることとなって本当に良かったと思う。

なお鐡造は晩年、「最後の喧嘩」として「生産調整」の撤廃を求め国および石油業界と戦うことになる。「生産調整」は、業界全体の足並みを揃えて管理するのを理想とする、過去の日本省庁独特の典型的な「護送船団方式」であった。戦争直後と異なり、貿易も自由化された中、その自由化に逆行する「生産調整」に鐡造は石油およびビジネスの長年の経験から、信念を貫き反対を訴え、ついには「生産調整」の廃止を達成した。

当方もエネルギー業界で日々働いているが、勉強になることが多々ある書籍であった。例えば、アメリカの独占禁止法であるシャーマン法は、石油業界が発端であった点などである。このシャーマン法は、あまりにも巨大かつ独占的になりすぎたスタンダード・オイルを何とかしなければならないという目的のために作られたものだ。

これによって、スタンダード・オイルは互いに資本関係のない34の会社に分割されることとなる。資本経済の社会において、公正取引委員会や独占禁止法が果たす役割は大きいと思う。この大事な基本骨子の始まりがエネルギー業界であり、またその業界に身を置く当方としては、より公平な環境づくりの大切さ、またビジネスの中で必死に考えた知恵や工夫、また努力が対価として還元される社会の重要性に改めて気づかされた思いだ。

総じて、魂のこもった筆が入った良書であり、エネルギー業界に身を置く者であれば必読書のようにも当方は考える。ただ今のビジネスに活かすには全てが是ではなく、正直なところでは時代背景が異なるため、働き方がブラック労働ではないか等、現在版に思考を調整する必要もあるかと考える。ただ根本的な部分においては、非常に勉強になり読み物としても面白く、一読してみてはいかがだろうか。

本ページの書評作成者

森正旭の写真

一般社団法人エネルギー情報センター

主任研究員 森正旭

上智大学地球環境学研究科にて再エネ・電力について専攻、卒業後はRAUL株式会社に入社。エネルギーに係るITを中心としたコンサルティング業務に従事する。その後、エネルギー情報センター/主任研究員を兼任。情報発信のほか、エネルギー会社への事業サポート、また法人向けを中心としたエネルギー調達コスト削減・脱炭素化(RE100・CDP等)の支援業務を行う。メディア関連では、低圧向け「電気プラン乗換.com」の立ち上げ・運営のほか、新電力ネットのコンテンツ管理を兼務。

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